第19回 国際青島太平洋マラソン大会

2005年12月11日

[序章] [前日] [スタートまで] [スタート〜折り返し] [折り返し〜ゴール]

折り返し〜ゴール

折り返しのシーンはもちろんデジカメで撮った。撮った筈だった。しかし確認をしていなかった。帰って撮れた写真を確認してみるといらんものをいっぱい撮っている。つまりこういうことだ。デジカメのスイッチを入れる。シャッターを押す。他の被写体もあるからとしばらく電源は入れたまま。次の被写体でまたシャッターを押す。電源を切る。ということをしていたんだけど、電源は入れたままのところで、自動的に電源がオフになってしまっていたんだな。だから、電源を切ったつもりが入れていて、その後はいらんところで指がシャッターを押していたし、肝心なところの写真は撮れていない。

折り返してから、ももんがひめさんの姿を探すけど見つけられなかった。いつの間にかすれ違うランナーもいなくなる。

今まで北上していたので、折り返すと南下ということになる。すると写真は逆光になる。逆光補正?走りながらしろっての?無理

折り返しのタイムは2時間03分くらい。ハーフの10分落ちというのはペースとしてはどうなんだろう。手元のGPSではスタート以来の移動アベレージ速度を常に表示するようにしている。その表示では10.4km/h。ま、当然ではあるな。

30km通過。アベレージは相変わらず10.4kmをキープ。膝はまだまだ大丈夫。汗が目にしみる。サブ4になるためにはアベレージがどのくらいならいいのか計算してみる。42.195kmを4時間だから、時速は・・・11km/h、いや違うな、10.5km/hなら端数分届かないか。端数分や誤差を入れると10.6km/hは必要だな、あと0.2km/hだけ早くなれば・・・

復路にも応援/ボランティアの高校生や一般の応援者がずっといる。嬉しい。

と、ここまでで、デジカメのメモリの容量が尽きた。今更だけど、256MBのメモリは足りなかった。素直に1GBのメモリを入れておくべきだった。

大淀川にかかる一ツ葉大橋を再び渡る。後もう少しだなぁ。ペースは10.3km/hに落ちる。だめかなやっぱり

思いもかけないところから声援を受けることもある。南九州短大寮の寮生がベランダから声援を送ってくれる。君たちも来年は走りなよ、楽しいよ。

サンマリンスタジアムが見えてくる。サブ4はますます無理っぽくなってくるけど(まだあきらめてないの?)、でも4時間前半の結構いいタイムというのは確実・・・だといいなぁ

40kmの標識を超える。あと2.195km。経過時間は4時間を辛うじて切った。サブ4は駄目だった。

総合運動公園に戻ってくる。入り口に41kmの標識がある。まっすぐ行くのかと思っていたら、すぐに左に曲がり、駐車場に入り、武道館の前を通過して、競泳プールの横を通る。小学校〜中学校の自分はこの競泳プールで散々泳いだもんだがなぁ・・・とちょっと感慨を憶える。他の人には単なるコースだろうけど、私にとってはちょっと意味があるコースレイアウトだった。

プールをすぎると陸上競技場の裏に回り、裏からトラックに入る。トラックを半周したところにゴールが見える。ラストスパートをしてみる。出来ちゃった(もっと早くしろって)。ゴールタイム4:11'18"。もちろん過去最高記録(まだ2回目だけどね)。でも、ほんと予想よりずっとずっといい記録。

クールダウン、ストレッチなどをしてももんがひめ夫妻を待つ。多分私の方が先に入っている筈。しばらく待ったが、ゴールするひめの写真も撮れた。ひめは膝と足のまめでたいへんなレースだった。お疲れさまでした。

思いもかけない好記録でゴールした影響で、親からの連絡までかなりの時間がある。

後で聞くところによると、私があらかじめ伝えていた5時間程度という控えめな目標を真に受けて、2時頃から総合公園入り口で見ていたそうだ。私はそのときにはとっくにゴールを終えている。自分の息子を買い被ることの全くない両親である。ま、私のこどもの頃のことを知っているからな、あっちは。幻想を持てる筈もないが。

ともかく無事に迎えにも合流できたし、帰りもスムーズに都城まで戻れた。いい一日だった。